「個人として卓越するとはどういうことか」を教わった会社員時代

結婚を機に、務めていたベンチャー企業を退職した。

私が務めていたウィルフォワードという会社は、「会社」と呼ぶのにも違和感があるくらい「個人の卓越化」を尊重している組織だった。

個人のクリエイティビティが最大限に発揮できるよう、それを阻害するようなルールや規則は徹底的に排除されていたため、
 

・出社義務なし(いつどこで仕事をしてもOK)
・自分の給料は自分で決める(同期は初任給をサイコロで決めたw)
・メンバー全員が決済権を持っている(必要だと思ったら会社の経費で買ってよし)

 

といった数々のユニークな文化があった。

「なにそれ最高じゃん!」と良く言われたし、私もメンバーとしてジョインするまではそう思っていたが、「自由には責任が伴う」ということを身をもって学んだ3年間だった。

上記のユニークな文化を例に挙げて言うと、こんな感じである。
 

・出社義務なし
→終わらなければ当然終わるまで働くので、タイムマネジメント、優先順位の付け方、タスク管理ができないと死亡
・自分の給料は自分で決める
→新人のうちは出来ることが少ないので、頑張ってもなかなか貢献粗利が上がっていかない申し訳なさと常に向き合うので落ち込みやすい
 

全員が「一社員ではなく経営者である」という自覚を持った組織を目指していたため、まず自分が自律できていないと、メンバーを支えるどころか、自分の不甲斐なさに簡単に押し潰されてしまうような環境だった。

(会社としては社員を管理したほうが圧倒的に楽なことの方が多いはずなのに、「実験」と言いながら本質的で先鋭的なことを追求する代表の成瀬さんは本当にすごい)

だからこそ、プロフェッショナルとして活躍しながらもお互いを支え合い、相乗効果を生み出している先輩たちに憧れた。

同じ「会社員」という肩書きではあるものの、企業や組織に依存して管理されながら働く会社員と、

一人でもやっていける力があるけど、「好きな人たちと面白いことを成し遂げたい」と自らチームを作っているプロフェッショナルだったら、私は後者になりたいと思った。

だから、ウィルフォワードに入社した。

取材中
インタビュー中。同期が撮ってくれました。
 

何がしたいのか分からない、やりたいことが見つからない

 

さて、「プロフェッショナルな人材」が集まる組織に「まだスキルが少ない新卒」として入社した私は、まずは社会人としての基礎力を身に着けるべくライターとしてキャリアをスタートさせてもらった。

先輩たちの熱心な指導のおかげで、記事の企画から取材、撮影、記事制作、コーディングまで一貫して行うようになり、企業のオウンドメディアの企画・制作・運用を担当させてもらえるまでに成長した。

ライターとして合格点が出せるようになった頃、基礎力であるライティング力に掛け算できる、何か新しいスキルが必要だと考えるようになった。

有難いことに「やりたいです!挑戦したいです!」と手を挙げれば何でもチャレンジさせてもらえる環境だったので、その後私はライティングに加えて、Webディレクション、映像制作、経理や人事労務などバックオフィス全般と本当にいろんなことに挑戦させてもらった。

「とりあえず興味が沸いた仕事は片っ端から挑戦して、一生懸命やっていればいつか天職に出会える」
そう信じていた。

しかし、「私はこの分野のプロとして卓越して生きていく!」と肚を括れるような情熱の矛先は一向に見つからなかった。

もともと昔から飽きっぽい私は、「やっぱり何をしても続かない自分はダメだ」

「情熱を捧げたい何かが見つからないなんて、私はなんて冷めているんだろう」

「そもそも私が何かのプロになるなんて無理なのかも」と悩むようになった。

「まだ天職に出会ってないだけ。これを続けていればいつか出会える」と言い聞かせたこともあったが、結婚や出産、子育てといった仕事以外のライフイベントから逆算して新しいことに打ち込める期間を考えると、「そんないつになったら出会えるのか分からないおびただしい数の消去法をやっている場合か!」と焦りに拍車をかけるだけだった。

退社の理由は結婚がやっぱり一番大きなキッカケではあるものの、それを機にこれからの人生を自分ごととして(社会人としてだけではなく、女性として、妻として、もしかしたら母として)「どう生きていきたいのか?」ということを真剣に考えるようになったからだと思う。

「いっそのこと、仕事辞めて専業主婦やってみれば?」という先輩のアドバイスも後押しし、一旦立ち止まって考えながら、これからのことを模索することにした。

「社員であるかどうかではなく、どんな意思決定をしたとしても、わかなの人生を応援しているよ」

と言ってくださった代表の成瀬さんをはじめ、今でもお互いの人生を応援しあいながら、たまに仕事も一緒にしながらという関係性でいられる、懐も愛情も深すぎるウィルフォワードのみなさんには本当に感謝している。

株式会社ウィルフォワードのみんなと
ウィルフォワードは仲間の誕生日を全力でサプライズする文化があります。
 

そもそも、天職は必要なのか

 

退職を決めたあと、私のように悩んでいるアラサー女性へ心理学を教えている湯浅里見さん(通称:さとちゃん)のコーチングを受けに行った。

もちろん、相談内容は「天職を見つけたいけど見つからない」である。
 

↓以下、その時の会話の一部抜粋

さとちゃん:「なんでわかなちゃんは天職を見つけたいの?

私:「天職が見つかれば、私はこのままでいいんだろうか?って不安にならなくて済むし、天職ってきっと自分が好きなことで、かつ才能が発揮できる仕事だと思うから、毎日ワクワク楽しく働けそうだし効率よく稼げそう」

さとちゃん:「天職が見つからないことによって得ているメリットってなんだと思う?」

私:「(天職が見つからなくて困っているのに、メリットなんてあるわけがない!と反射的に思ったが、よくよく考えて)天職が見つかっていなから探すという過程が必要になって、結果その探す過程でいろんなことを勉強させてもらったり経験出来ている、ということは自分にとってプラスになっていると思います」

さとちゃん:「いろんなことを勉強させてもらったり経験出来ている時ってどんな気持ち?」

私:「新しいことに挑戦することは新鮮な気持ちで取り組めるのですごく楽しいし、勉強も、更にレベルアップできると思うとワクワクします」

さとちゃん:「わかなちゃんは、天職が見つかったら楽しく働けるって思っているけど、天職が無くても既に楽しく働けているみたいだね。わかなちゃんにとって天職は必要ないのかもしれないよ

私:「・・・(唖然)」
 

こうして改めて文章に起こしてみるとすごく当たり前の会話をしているだけのように見えるのだけれど、

「天職を見つけたら幸せになれる」
「天職が見つかったら素晴らしい何者かになれる」

と信じて頑張ってきたわたしにとっては、ものすごい衝撃だった。
 

「天職が見つかれば幸せになれる」という思い込み

 

天職が見つからずに悩んでいる人は、「天職を見つけたい理由」を一度考えてみることをオススメする。
大切なのは、「働く理由」ではなく、「天職を見つけたい理由」である。

私を含めて「生きるために働く」では飽き足らずに天職探しをしているということは、きっと「天職」というものに「生きるためにお金を稼ぐ」以上に期待していることがあるからだと思うのだ。

「天職とはきっと自分の得意なことだから、もっと短時間で今以上のパフォーマンスを発揮できるはず。だから天職を見つけて、給料上げて、プライベートの時間も増やしたい!」と思っている人がするべきことは、きっと天職探しではなく、「今より給料を上げて、プライベートの時間を増やすためには具体的に何が出来るか」を考え、行動することだと思う。

それは今より給料が高そうな会社への転職活動かもしれないし、昇給するために今の職場でもっと成果を出すことかもしれないし、よりプライベートの時間を増やせるように独立することかもしれない。

つまり、他者評価や天職といったものに頼むのではなく、自分軸で「幸せの定義」をしておくことが大切なのだと思う。

・・・これは、ウィルフォワードでも散々教えてもらっていたし、それについて考える時間も沢山もらっていたのだけど、腑に落ちるまでに時間がかかった。

私の場合は、天職を見つけたい理由が「新鮮な気持ちでワクワク働くこと、自由に働くこと」であり、それが理想とする生活のひとつ(=幸せの定義のひとつ)だった。

そして、そんな生活は天職が見つからなくても手に入ることに気付いた。

だから天職探しは卒業した。

このブログを始めたのも、天職探しを卒業し、「対価を得られるくらい価値のあるもの」「生産性のある活動」以外にも、というか、それを度外視してでもやりたいくらいの「好き」にむしろ目を向けてみようと最近思えるようになったので始めてみた。

こうして日々思ったこと、感じたこと、学んだことを備忘録として
アウトプットしておく場にできたらと思っている。