「家族なんだから助けて当然」
「妻だから家のこと全部やって笑顔で夫を支えるべき」
「笑いの絶えない喧嘩のない家庭を保たなければ」

あらゆる場面で語られる(そしてその場面は、困難な境遇であることが多い)、「家族だから」という言葉を、私はあんまり重視していません。

・・・これだけ言うとかなり冷めた人間みたいですが、「人間関係とか役割とか立場は強制されるものではないと思う」って話です。

「当たり前じゃん」って思うかもしれないけど、意外とこの「”理想の家庭像”という名の無言の圧力」には抗いづらく、なんとなく違和感とかストレスを感じなくもない。

で、これは別に「たとえ家族だろうと面倒見る義務はない」とか「家の中しっちゃかめっちゃかに汚したままでいい」とか「毎日仏頂面で家族とも話さずイライラしててもいい」とか言いたいわけではありません。

いや、いいんですけど。
喧嘩したって、家の中荒れ放題になることだって時にはあります。私もめちゃくちゃあります。大変。

大切なのは、「何をするか、どう振る舞うか」じゃなくて、その相手と「家族のように大切だ、という関係性を築けているかどうか」な気がします。つまり、「所属的な意味の関係性」ではなく、「精神的な意味の関係性」があるかどうか。

「いやいや、家族は当然大切だよ!」って人が多いと思うのですが、これは、血の繋がった家族に限らず、仕事や人間関係においても同じなのかなと思うんです。

仕事とプライベートをハッキリわけている人もいるから、「全ての人間関係を家族レベルにするべき」とかそういうことを言いたいわけではないのですが、結果的に同じ行動をとったとしても、「〇〇せねば」「〜〜するべき」という義務感に駆られて嫌々やるのと、「この人の為だったら一肌脱ぐぜ!」って想いでやるのとでは雲泥の差がありますよね。

冒頭で述べたストレスとか違和感の正体は、精神的な関係性ではなく、「所属がこうだから」という理由のみで行動を強制される(あるいは強制されているという気持ちになる)ことが原因なんじゃないかなと。

前職であるウィルフォワードも、「家族のような関係性で仕事したいよね」と言っている会社だったし、それこそ”社員”という「所属的な意味の関係性」はなくなった今も、社長から息子さんの爆笑映像が送られてきてほっこりしたりしています。

そういう関係性だからこそ、「さすがウィルフォワードメンバー!」と言ってもらえるような活躍をこれからしていきたいと思うし、何かの機会に力になれるように常に成長していたいなという想いが湧いてきます。

「家族という同じコミュニティにいる人だからフォローしないと」と、「家族のように大切な人だから、力になりたい!」であれば、私は後者のような気持ちで自分の時間を使っていきたい。

そして、私にとって大切な人からも、そう思ってもらえる存在でいれたら嬉しい。

大切な人を大切にするための心配りと信頼の積み重ねができるようになりたいものです。