美容は自尊心の筋トレ
ライター・長田杏奈さんの「美容は自尊心の筋トレ」という言葉が好きだ。
「美容は自尊心の筋トレ」とか「私が世界一の美女じゃなくても」って、たぶん誰より自分が自分に言い聞かせてる言葉で。外見及びそれに連なる内面その他を一切合切投げ出したくなったときにも、ちょっと待てよ落ち着いて、大丈夫私には私がいる大事にしよう……みたいな面があって。
— おさ旦那 (@osadanna) 2017年10月10日
私は長らく「美人になりたい!」と叫びながら美容に勤しんできた。
しかし、長田さんのこの言葉と上記のツイートを見たときに「ああ、私って美人になりたいんじゃなくて、自分のことを好きになりたいんだ」と気付いた。
自分を好きになりたいなら、美容が効果的だと思う理由
自分を好きになりたい人と、美容とは相性が良いと思う。
なぜなら、成功体験を積みやすいから。
メイクやファッションが良くなると(「良くなったかどうか」という判断はあくまで自分の基準。美容は自己満)、目に見えて成果が分かるので「昨日より自分は良くなっている」と実感できる。
仕事でも目に見える成果を出すことは可能だが、大きな組織だと、それを成果かどうか判断するのは他者の場合が多い。「“会社の”売上目標を達成した」、とか。
他者評価に依存すると、自尊心は培われにくいと思う。
その点、美容(これも「相手の基準を満たすため」ではなく「自分のため」に美容を頑張る場合)は、自分が「良くなった」と思えれば大成功なので、自分の領域で完結する。
「社会が、会社が、親が、彼氏が、評価してくれない!」と誰かのせいにしなくていいし、「こんなに頑張ったのに、これでも足りないの?」と他者が設けた高すぎる目標に愕然とする必要もない。
ただし、自分自身に掲げる目標が高すぎると他者の目標じゃなくても「こんな私、まだまだ全然ダメ!」と同じことで悩むけれど。
私の場合は、度重なる実験の末に「これだ!」というメイクやファッションに出会ったとき、「またひとつ成長できた」と自分を認めてあげることができる。
繰り返しになるが、他者から見ると「どこが変わったの?」と思うような些細なことでも良い。自分が「良くなった!」と実感できて、嬉しくなることが大切なのだから。
きっかけは、メイクをすればするほど小さくなる目
私が化粧品を買い始めたのは中学生の頃。
益若つばささんや菅野結以さん、舞川あいくさんなどが、Popteenモデルとして全盛期の頃で、盛々のギャルメイクが流行っていた時代だった。
そんな時代背景もあり、「塗りたくれば良い(解釈)」と信じていた私は、一生懸命囲み目メイクを習得するべく頑張っていた。
……しかし、一向に目は大きく見えない。
それどころか、囲めば囲むほど小さく見えていく。
当時、先輩に「なんだお前、アヴリル・ラヴィーンみたいな化粧して」と言われてハッとした。
アヴリル様は大変に可愛いが、私の目鼻立ちでアヴリル様のようなメイクはそりゃ違う。ありがとうございます、先輩。
「可愛い人のマネをしても、素材が違うのでそれが私にも最適の方法かどうかは分からない」ということを学んだ私は、いろいろなメイク方法を試すようになる。
インラインの描き方を初めて知ったときは、「三白眼(黒目のまわり上下左右のうち3ヶ所に白目が見えている目のこと)がコンプレックスな私の目でも、違和感なくデカ目になれる(気がする)方法があった!!!」と感動した。
この感動が忘れられず、「自分の容姿をまずは受け入れ、憧れのモデルさんメイクを片っ端から試してみて、自分の顔にも適応できる方法があればそれを採用する」という私の「筋トレ」が始まった。
「美の基準」を他人に委ねない
ところが、「美人になりたい!」という向上心は、扱い方を間違えると「美しくないものには価値がない=美しくない私には価値がない」「だからもっと良くならなければならない」という歪んだ考えにも陥りかねないので注意が必要だ。
先程「美容は自分ひとりで完結する」と書いたばかりだが、容姿に対するコンプレックスを抱えたまま、自身の美容哲学が不健全な方向に向かうと、かなり面倒くさいことになる。
この状態になると、上手くいかない(と思い込んでいる)理由が、全て「自分が美しくないから」に帰結してしまうのだ。
たとえば、
「彼氏に愛されていないのは、私が美しくないせいだ」
「自分に自信を持てないのは、私が美しくないせいだ」
「会社であの子ばかり評価されるのは、私があの子のように美しくないからだ」
などなど。
(……いやいや、他にもっと原因あるでしょうが! という突っ込み、ごもっともです)
上記が思い込みなのか本当なのかはさておき、これでは全然自尊心が育まれないし、なにより生きづらい。
というわけで私が負のループに陥ったときは、自分と向き直るようにしている。
他人との比較が始まってしまうと、「美しいかどうか」の基準も世間や他者が設けるものがあたかも「正解」のように感じてしまって、苦しくなるからだ。
「美容」という筋トレを通して、自分を好きになる
自分を好きになりたくてやっているのだから、比較するなら過去の自分。
もっというと、比較なんてしなくていいのかもしれない、と最近は思い始めている。
今日の私が、心地よく、機嫌良くいられるように。ていねいに自分を扱ってあげられたら、それで十分だ。
なぜなら「自分を丁寧に扱う」という行為は、「自分は丁寧に扱うべき存在だ」という意思表示につながり、自己肯定感を育むきっかけになると感じているからだ。
その自分を丁寧に扱う手段として、美容はわかりやすいし、今すぐ始められる。
「今日も1日お疲れ様」と自分を労わりながら、眠る前に自分の足をマッサージしてみたり。
育児や家事で荒れかけた指先がふと目に入ったら、ネイルオイルを塗ってみたり。
職業や立場的にメイクやネイルやおしゃれをすることが難しくても、意外と美容って今すぐできることがたくさんある。そんなところも、美容の好きなところだ。
私は、「絶世の美女」にはなれないけれど。「私は自分が大好きです!」という状態には、まだなれていないけれど。
「美容という筋トレ」を通して自分を慈しむことで、コツコツと自尊心を育て、自分なりにキラキラしてみたい。そして、そんな自分を少しずつ好きになっていきたい、と思っている。